「ミコシ」を囲んで…。 中央紋付袴姿は、左から、 塚田桂祐シドニー事務所長、 四家啓助いわき市長、トニー・ムーニータウンズビル市長
タウンズビル市は、クイーンズランド州東海岸の北部に位置する熱帯都市。人口は約14万人で、州都ブリスベンに次ぐ同州第2の都市である。オーストラリア最大の銅の精錬工場を持ち、いわき市の小名浜港へも亜鉛・銅を輸出している。あまり知られてないことだが、1896年、オーストラリアで最初の日本国領事館 が置かれたのが、このタウンズビルだ。 一方、いわき市は福島県の東南端に位置する人口36万の港湾都市。人口では仙台市に次いで東北地方で2番目、面積では市として日本最大の都市である。 既に中国の撫順市との間に友好都市提携のあったいわき市が、英語圏との姉妹都市提携を求める市民の声を受けて、小名浜港と交易がある港湾都市タウンズビ ルとの姉妹都市提携を結んだのは、1991年8月21日のことである。以来10年にわたり両市民は様々な交流の輪を育んできた。 1991年提携、ということは本来10周年は2001年のはずである。事実、記念行事は昨年秋に行なわれるはずだった。だがそれは、他の多くの国際交流事業同様、あの9月11日の悲劇の前に吹き飛んでしまったのである。しかし、国際情勢がやや落ち着きを見せてきた2002年5月、延期していた記念事業を 開催しようという気運が、再び両市民から盛り上がる。元々、目玉行事の「ミコシ」パレードは、御輿を日本から搬送し、その費用を両市役所が負担する計画だった。しかし、年度が変わった両市役所に御輿搬送のための予算はなく、御輿を担いでパレードをするというこの計画は頓挫するかに見えた。 だが、タウンズビル市民は諦めなかった。「日本から運ぶことが出来ないのなら自分達の手で作ろう。」そして御輿の製作を開始する。「どうしてもやりたい。」このタウンズビル市民の心意気に呼応していわき市民は、御輿の写真や設計図、専門家のアドバイスを送り、これを応援する。そうして、御輿は出来上 がった。それは、日本の御輿にオーストラリアの心が混じり合い溶け込んだような、一味違う「ミコシ」だった。そう、それは、両市の交流を象徴し、彼らの思いを凝縮したような、市民手作りの、温もりのこもった「ミコシ」であった。 このパレードの日、子供たちが小さな体で懸命に担いでいるのは、両市民の交流への「思い」そのものなのかもしれない。この小さな担ぎ手たちはやがて成長し、そしていつか両市の交流の「未来」の担い手となって行くことだろう。
両市民の思いを乗せた「ミコシ」が今、未来へと運ばれていく。小さな担い手たちによって。晴れ渡った青空の下、彼らの元気な声が沿道の人々の胸に、いつまでも響き渡る。 「わっショォイ!」「わっショォーイ!」